俺の死と音楽について


死とは人に必ず訪れるものであり、身近なものだと思っている。

しかしこの話題に触れるのはしばしばタブーとされる。

故人への配慮なのだろう。

 

しかし俺という人間はどうやらその死というものを敵として、あるいは友達として捉えているようである。

俺は死がなければ生きられないのだ。

少し語ることを許してほしい。

そして、そんなに重く考えずに読んで頂ければと思う。

 

w-mとは俺が死ぬまで活動するプロジェクトである。

正確には、死のうとしたことを思いとどまって始めたプロジェクトだ。

(SEKAI NO OWARIみたいでしょ)

音楽を奏でることをずっっと夢見て生きてきた。

だけどうまく行かないことも多かったり、仕事が忙しかったり、人に恵まれなかったり。

体調を崩した俺は死を決意した日があったが、奇跡的にとどまった。

(詳しくは配信[Broadcast]の最初の放送にて)

そこで俺は気づくことが出来たのよ。

「ああ、俺は何にも、死ぬほど挑戦してないな」って。

当然なんだけどいろんな物事が表裏一体で、喜びがあるから悲しみがあり、成功があるから失敗があり、そして生があるから死がある。

今の俺は、死があるから生をどう過ごすか、考えられるの。

 

「石濱さんはめちゃくちゃ活動的で刺激をもらってます」

「石濱さんめちゃくちゃ音楽にコストかけてますね」

「石濱さんの歌詞は心に響くものがあります」

こんな言葉を頂いてきた。

嬉しい言葉ばかりだ。

これは俺が本気になれたからなのだと思う。

少なくとも、一人でこそこそと曲を作っていては言ってもらえない言葉だ。

きっとこの一年、自分のことを理解してもらえるリスナーを捜すことに一番力を入れたと思う。

(まだ終わってねえけどね)

俺は死ぬまでにまだ何か出来るんじゃないかと信じて、毎日毎日仕事そっちのけで考えるようになった。

そして、まだまだ頑張らなきゃいけないのだと思っている。

 

最後に、俺は基本的に健康体である。

精神病や発達障害はあるものの、末期の病にかかってはいないし、不慮の事故も経験していない。

そんな俺が死を語るのはいかがなものかと、やはり思ってしまうのだが、そこは棚に上げさせてもらう。

悩みや辛さは人それぞれだから、比べるものではない。

俺には俺の出来ることをしたい。

読んで頂いたあなたも、そうあってほしいと勝手に思っています。

 

取り留めのない話で恐縮です。

こんな俺を今後もよろしくね。

2018年ももうすぐ終わっちゃうからね!

頑張ろう、ファイト!