おーい。
なんだかこの1ヶ月はとても長かったぞ。
何してたんでしょうね。忙殺されてました。
実は先月はお忍びで(?)地元でライブをやったりしました。
初のアコースティックだったからとても緊張したけど、意外と自分のことを嫌いにならないほどのライブは出来ました。
音楽はマジでアスリート、日々練習あるのみ。
あれ、音楽はアスリートのようには扱われないのが昨今の流れだっけ。
さて、最近は日々の営みと精神破壊に苛まれながらも、俺は曲を作ってきた。
1年かかってしまったがようやく光が差している。
完成の兆しだ。
厳密にはジャケの手配やらMVやらでもう少しかかるのだけれど、楽曲がフルコーラス完パケ状態で揃ったと言っても過言ではない。
特に今年に入ってからとても長かったように思う。
最終調整に向けて何度も聴き直す。
俺は次作が一番好きだ。
みんなはどう思うだろうか。
疲弊した身体にも刺激を与えて復活させるような、人をダメにさせないような、そんな作品だと思う。
しかしどうしてだろう、何度も聴いているうちに駄作のように感じざるを得ない不安に襲われることもある。
これに1年を費やしたのは、間違っていなかったのだろうか?
検証するように楽曲を細部まで聴いてみても、満足の行くものになっている。
それなのに生まれるこの不安は、根本からして間違っているのではないか?
自分という存在をどうすれば褒めてやれるだろうか。
愉悦と失望のアンビバレンスに、幸福という感覚が麻痺してしまいそうである。
これすらも気持ち良いのか不快なのか分からない。
少なくとも俺の人生はリバーシブルで、色即是空だ。
ならばこれは最も自分らしい状態なんだ、そう思うことにしよう。
せっかく夏の曲も作ったのに、間に合わなさそうなのは残念だ。
今年の夏はオリンピックというイベントにくれてやろう。
俺は残念ながら生まれて此の方、オリンピックに興味を持てたことがない。
ふと思い出すのは、俺の好きな「博士と蟋蟀」というユニットのとある歌詞だ。
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「暗い部屋に灯るテレビにはオリンピックが始まるとかで笑顔を振りまき手を振る選手たち
直視して固まる私を無視するように華やかなセレモニーは永久に続いて行く」
ー博士と蟋蟀「影を埋めた日」
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これを聴いたのが2008年、オリンピックイヤーだった。
あの時の感動から12年、いや、1年ずれて13年経った。
その頃の自分に胸を張って会えるようになっただろうか。
-今日のおすすめの1曲-
透明なる前進 - 博士と蟋蟀
-コメント-
今でもよく覚えている。
大学受験の頃、初めて一人で状況し数日ホテルに泊まっていたときのこと。
勉強もほどほどにベッドに横たわり、この曲を聞いていた。
安心と不安が入り混じりつつ、なんだかんだ期待していたあの夜は、俺にとって一生残るものになるとは思いもしなかった。
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