生きている


俺は今、精神病院に入院している。

自殺を図った。そして失敗した。

だから生きている。

 

12月19日に一大イベントとして、自主企画ライブを終えた。

とても良い対バン相手で興奮したし、嬉しかった。

しかし、そんな晴れ舞台でも俺の心の憂鬱は消えてくれなかった。

20日、朝起きてから涙が止まらなかった。

理由はないし、悲しくもない。だけれどそれは流涙の症状のように、3時間あまり続いた。

心は虚無のままである。なんだか馬鹿げているように思えた。

本日俺が死ぬのだと、確信的なものがあった。

家に帰ってすぐに準備をした。

前から買ってあったロープを吊し、遺書を書く。

名残惜しかったので、一言くらい家族へ何気ない連絡をした。

さあ、あとはもうない。恐怖心などはなかった。

ただただ、虚無感だけ抱えていた。

 

実行に移した瞬間はあっけないもので、引っかけていたロープが重さに耐えきれず、俺はそのまま床へ落っこちる形となった。

そこからは放心し、翌日には入院が決まった。

 

初めての入院だった。

鍵のかけられた部屋に、ベッドとトイレだけ。

とにかく暇だった。飯も美味くはない。

ただただ時間だけが過ぎていき、普通の病棟へと移ることとなった。

そこではいろんな人々がいて、何かと闘いながらもみんな少し明るかった。

とある患者に言われた一言が今も胸で響いている。

「逃げ出したいんでしょ?」

そう、俺は病院からも現実からも、逃げたくて仕方がなかった。

この先何があるのだろうか、果たして晴れ晴れとした気持ちが生まれることはあるのだろうか。

 

そこからしばらく瞑想していた。

過去のトラウマとも向き合う時間も多分にあった。

なかなか考えただけで何かが変わるものでもないが、確実に言えたのはこの第一病棟の中でも俺は健康であるということだ。

身寄りのない患者、忘れ物が異常に気になってしまう患者、洗剤を飲み自殺を図った患者、認知症の患者、親に入れられてしまった患者。。

いろんな背景がある人々の中に自分を浮かべてみれば、なんとも恵まれていることなのだろう。

俺の苦しみがあることには間違いはない。

だけど、いろんな生き方がある中で、とても莫大な数の生活の中で、自分みたいな生き方を許してあげてもいいのかもしれないと思った。

今だけだとしても、少し前に進めた気がした。

 

 

年末の〆のブログがこんな形になってしまうのは忍びないと思う。

特に、生きたいと願っている人達へ、悪いことをしたと思っている。

でも、こんなグズな俺が生み出すものだから、何か響くものもあるんじゃないかって思ったりもしてる。

世の中に意味などないし、生まれて来た理由だってこじつけだ。

俺はとても弱く醜い存在かもしれないが、少なくとも同じような劣等感を感じている人へ、想いを届けたい。

そんな気持ちで、ふらふらと、来年も音楽をやっていこうと思う。

俺にはこれしかないのだから。

 

今日こんなも駄文に付き合ってくれたあなたへ、ありがとう。