敬老の日


頑張って小休憩。

そんなこんなでブログを書く。

 

ここ数日間はいわゆるスランプというやつで、とてもとても辛かった。

それを脱したのがつい昨日のことである。

最近日課でどんな行動をとったか記しているのだが、実は1週間くらいしか苦悩してなかったのだ。

しかしそれは俺にとってとてもとても長い期間だった。

今回の不調は結局諦めずに頑張るという方法で克己したわけだが、嵐が過ぎ去ったかのように、何事もなく制作が進んでいく。

不思議さとともに、次作の楽曲は7曲まで溜まった。

 

 

今日は敬老の日だった。

サプライズやプレゼント系はすこぶる張り切ってしまう俺だが、「〜の日」といった類は苦手である。

毎年わけも分からず訪れるし、恥ずかしい。

こんな自分こそ恥ずかしいのかもしれないが、もう両親へのプレゼントとかは何年もしていない。

俺にはばあちゃんが一人いる。

今年で90になるのかな、今では唯一の祖母であり、おっとりしていながらも元気だ。

思うところがあって、俺はプレゼントをすることにした。

とはいえ老人に渡す実用的なものなんかは思いつかなかった。

これから寒くなることと、次の季節も乗り越えられるようにと想いを込めて、膝掛けをプレゼントした。

それはたいそう喜んでいて、今日という日を素直に良かったと思った。

 

実はこの敬老の日は、俺にとって大切な思い出がある。

大した話ではないが、俺が幼稚園のときに敬老の日のイベントでじいちゃんばあちゃんが来てくれたのだ。

覚えていることはそれだけなのだが、嬉しかったのか、今でもその日を思い出す。

そう、俺は今も生きているばあちゃんのことを思い出にしてしまいたくなかったのだ。

気づけば俺は30になろうとしていて、人生というものを理解してしまったように思う。

唾を吐き捨てるような日常、そして無機質な人生。

良くも悪くも変わらなくて、そんな俺とはかけ離れた存在の家族だってまた変わらない。

しかしいつからか家族の死に対しても俯瞰している自分に気づいていた。

このくらいの年齢になると当たり前かもしれないが、最近は自分以外の存在に目が行きがちだ。

悲しいし仕方がない頃合い。

そうやって、自分以外の人生まで勝手に見越してしまっていた。

 

昨年、実家の犬が死んだ。

ペットの死は初めてではないが、当然悲しみなんて慣れるものではない。

そのときくらいから、俺は多くのものを思い出として仕舞い込んでしまおうとしていた。

死んだ犬も大往生し俺も満足のいくように最後まで接することが出来た。

しかしそれは犬だったからかもしれない。

先にも書いた通り、変な恥ずかしさなんかを理由に今を蔑ろにしそうな気がしたのだ。

どんなに世界がつまらなくても、俺の人生がくそであっても、そこだけは譲ってはいけないと思った。

たかだか一回の記念日で何か変わるわけじゃないが、少し踏み出せた気がしたのだ。

 

直視したくない現実がたくさんある。

毎日、毎日、毎日、毎日。

今日は現実と向き合えた気がする。

良い現実だった気がする。

 

-今日のおすすめの1曲-

スロウ - GRAPEVIPE

-コメント-

特になし