ライブに対する憧れもしくは嫌悪


なんでだろう、とてつもなくライブがしたい。

ぼちぼち始めてもいいのかもしれない。

俺にとってライブとはとてもハードな行為であるにもかかわらず。

今日はその想いを誤魔化すかのように、ライブの思い出話を書いていく。

 

 

高校生になってからバンドを組んで、気づけばいろんなライブをやったなと思う。

コピーバンドだったり大学の軽音楽部だったり、その方が回数としては多かったのだけれど。

もう俺も31だから、そうか、もう人生の半分以上を音楽に費やしてきたことになる。

 

 

今でも覚えているのは初めて組んだバンド「w-m」での活動だ。

これは最高の思い出で、何も悩むことなく音を鳴らしていれば幸せだった。

むしろ受験戦争や自己劣等感を拭い去るための家みたいなもので、俺は幼少期から大好きだったゲームに興味がなくなるくらい没頭した。

変なもんで、今そのメンバー達と連絡を取り合うことはほとんどない。

当時も一緒に遊んだりすることも多くはなかった。

遊び方がわからなかったんだと思うし、音さえ出せていれば良かったんだと思う。

俺たちは誰にも宣伝することなく、黙々と集客0のライブを楽しんでいた。

それだけでよかったのだ。

 

 

続いて、上京してからの新たなバンドのことだ。

「Monopoly Syndrome」というバンドを結成した。

俺はこのバンドに苦い思い出があるが、それゆえか強烈に印象に残っている。

この頃18歳で、俺は受験に失敗し浪人をした。

音楽の専門学校に行きたかったのだが親の反対を押し切れず、さらには浪人となったわけだが、どうにか上京したかったのだ。

とても恵まれているが俺は色々と理由をつけて東京で浪人させてもらうこととなり、こっそりとバンド活動を始めることになった。

音楽と受験勉強の両立ということで、なかなかハードだったことを覚えている。

平日のうちの数日、俺は4時台の始発に乗り某大学へ向かう。

大学内のサークル部室を主な練習場所としていたからだ。

そこから7時半頃には練習を終え、予備校に向かう。

休日も練習したりライブハウスへの売り込み、ブッキング、他バンドとの交流などを行った(大したものではなかったが)。

東京でライブを行っていた場所は吉祥寺のWarpだった。

初心者バンドへの洗練を受けるように、冷ややかな目で見られながらライブを行っていて、当時は反省会の仕方もわからなかった。

そうこうしているうちに俺が体調を崩し、このバンドを終えることになった。

 

 

学生時代はリハビリ期間・自己強化期間のようなものだった。

自身の曲は封印し、ただただギターを練習した。

この頃は俺はまだボーカルではなかったし、やるつもりもなかった。

自分を受け入れてくれる場所が嬉しかったから、活動が止まっていたが後悔はない。

 

 

そしていつの間にやら、結構過去のこととなった現在のw-mのライブ活動だ。

俺は元々1人で始めて、自分で作ったオケに合わせる形でライブを始めた。

今思うとよくやったと思う。根性あったなと。

やっぱりオケのライブは楽しくもないし、孤独だし、ライブ前後の交流とかも億劫だし。。

そんな状況でも注目してくれた人たちのことを俺は忘れないし、中には熱心にバンドを組むことを推奨してくれたお客さん・店員さんがいた。

結果として、縁あって一緒にやってくれる複数のプレイヤーと出会うことができて、ただただ暁光だと思う。

お客さんが0であったことがないのも自分の中でのささやかな誇りだ。

結構ライブをやってると、お客さん0なんてことは珍しくないことを知っている。

誰かしらがw-mを応援してくれることは本当に励みになった。

ただ、当時はとてつもなく体調が悪かった。

現在も万全とは言えないかもしれないが、死ぬ前の遺言を残そうという勢いでライブをやっていた。

今なら、少しは違ったライブをできるだろうか。

良い意味で、前とは違ったメッセージを届けることができるだろうか。

 

 

 

ライブを終えた日のテンションは、俺はいつも最悪だ。

服に纏わりつく独特な匂いが嫌いだった。

楽しい打ち上げをしても、いつも虚しくなってしまい自己嫌悪に陥った。

自分のその日のプレーに落ち込み、そんなことで死にたくなるのが女々しいと何度ももがいた。

そんな自分がライブをしたいのは、バンドをしたいのは、どんな力からなのだろうか。

やはり思い返す浪人時代で、辛かったのにあの時のことが忘れられない。

治りたてのかさぶたを剥がすような、そんな感覚。

よく分からないが、なんだかあの場所に戻りたい。