今、歌詞を書いている。
前作のリリースから門出するべく、新たなリード曲が出来た。
とてもカッコいい曲。
俺は大体が曲先なので、歌詞を書く作業は骨が折れる。
考えたメロディに適切な語感・意味を当てはめるなんて、よくよく考えてみたら職人芸だ。
そう、俺は今歌詞を作ることに難渋し、''筆''を放り、ブログのために''別の筆''を握っているのだ。
前作は作曲に苦戦し、歌詞は割と1日考え込んで出来たくらいのものも多い。
内省的な時期で、自分の感情が分かりやすかったから、思いの外スムーズにいったのかもしれない。
しかし今は少し違う。
簡単に済ませるなら「作詞のスランプ」ということになるかもしれない。
しかし俺はそんな一言で済ませることが嫌いなタチなので、分析する。
結論としては、時代の流れに感化され、自らの言葉にも重みがあることを感じているから、慎重になってしまうのだろう。
決して日和見主義なわけでもないはずなのに、考えれば考えるほど、「それは正しくもあり間違いでもある」という真理が邪魔をする。
気持ちの尊重が見つめ直されているとも言える昨今、そんな当たり前のことが過度に干渉してくるのだ。
だから俺は歌の結論を出せないでいる。
そんな気がする。
…まあ、誰かのことを想ってしまっているならば優しそうでいいのかもしれない。
それならば当たり障りのないラブソングを作り、w-mの活動なんてthe ENDだ。
しかし実際はそんなもんじゃないんだ。
自分の中のダウナーに、アイデンティティに、モラトリアムに、答えを打ち出したいから。
曲がり者になんかなっちゃいられない。
さて、歌詞とは歌のどんな役割を担うだろう。
作り手の中では、歌詞とは一番軽視される要素だとよく言われる。
歌詞にどんなに想いが詰まっていようとも、曲が良くなければ聴かれない、みたいな話だ。
反面、名曲と言われるものの歌詞は人の心と記憶に残るものばかりで素晴らしいとも言われる。
一体どちらが本当なのだろうか。
そんなことは知る由もないし、俺はここでも答えは出したくない。
但し、一つ持論がある。
歌詞の良し悪しは、その意味が全てではないということ。
つまり、語感であり、譜割りが重要ということだ。
これも当たり前のような話なのだが、そこを意識しているなと思う人は少ないように感じるのが正直なところだ。
これはプロ、アマ問わずだ。
歌詞の意味を学びたいなら日本語の邦楽を、語感の気持ちよさを学びたいなら英語の洋楽を聴くべきだと思う。
しかし現在の邦楽はほとんどが作詞と作曲は別々の者が行う。
ここで俺は一石投じてみたい。
作詞家は与えられたメロディに対し適切な語感、韻、譜割り、そして意味を乗せてこそプロなのだが、やはり制約がある中での言葉、何より意味先行型とも見える邦楽業界の中で、果たして上手くこなせているのだろうか。
昨今の日本詞には深みがないということも、よく言われることだ。
聞き手側が分かりやすい歌詞を求めているからとか言われているようだ。
本音を言えば、別にどうでもいいことである。
今の時代の人の心に残る曲であれば、俺がクソだと思うものでも良いわけだ。
ただ、歌詞とはそんな単純なものではないと思う。
歌詞の役割。そしてその醍醐味を最大限引き出してやりたいと思う。
そんなことも言い訳なのだろうか。
今宵も自問自答しながら、頭を捻らせていく。
-今日のおすすめの1曲-
ZERO - B'z
-コメント-
邦楽で歌詞のことを思えば、すぐに浮かぶのはMr.Childrenだ。
しかし日本ロックの巨匠、B'zだって負けていない。
Ultra Soulを始め、歌詞が独特だということは周知の事実であるが、それだけじゃないと思っており、このZEROを挙げた。
ミスチルは詞先だと言われている一方、B'zは曲先であり、乗せたい歌詞によってメロディを変えるスタイル。バランスが取れた歌詞になっていると思う。
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