スーパースター


僕は何にも出来ない 普通のことさえも

どうして何にも出来ない そんなの分からない

 

これは次回アルバムの1曲の歌詞の一節だ。

読んでその通りの意味で、自分の気持ちの一部だと思う。

 

不器用な人間だとよく言われる。

不器用だから努力はそれなりにしてきた。

音楽も、仕事も、日常も。

それを拗らせて自分はネガティブになったのだろうか。

こんな性格だって矯正させようと色々してきた。

最近もそうなんだよ。

だけれどやっぱり、「ああダメだ」って思うことの方が圧倒的に多いんだ。

 

みんなはすごいなあって思って、近づこうとすることもある。

だけど同じことをしようとすると負けてしまうから、俺には俺にしか出来ないことをするしか方法がないのだ。

それがアイデンティティであり、救済法でもあり、逃げでもある。

みんなも計り知れない努力をしているんだと思う。

しかしながら自分と他人の両方を尊重しようとすると、どちらかのバランスが崩れてしまう。

そこもまた不器用だと思う。

 

みんなには、思い描くスーパースターはいるだろうか?

それは身近な人だろうか?それとも有名な人だろうか?偉人だろうか?

俺は自分のことを助けてくれた人がスーパースターでありヒーローだ。

音楽におけるスーパースターも結構いるんだ。

でもその人達ってのは、おそらく全国的、世界的に見ればマイナーな存在なんだ。

それでもすっごくカッコイイ人達だった。

最近各々のアーティストの知名度を知る方法がいろいろあってね、俺が好きだったアーティストの人気のなさに驚いたことがあった。

でも確かに、俺は好きだったということに変わりはないし、カッコイイんだ。

そう思って、自分に置き換えてみる。

俺が目指しているものは、元々分かりやすい理想像じゃなかったんだ。

不器用だったから、アンダーグラウンドの存在であっても憧れたんだ。

 

生きる才能がないなら、活き活きと過ごす人達と足並みなんて揃える必要はないと思うんだ。

だけどそれじゃ腐りたくなるほどつらいじゃんか。

それなら無能のフィールドで生きていけばいいと思うんだ。

-今日のおすすめの1曲-

Superstar - くるり

-コメント-

テーマに関連させてベタすぎる曲をチョイスさせてもらった。

くるりはそんなに詳しくないけど、この曲が一番好きかもしれない。

昔バンドでギタボとしてカバーした思い出の1曲でもある。

とてもシンプルだけれどくるりらしい曲で、爽やかだけれどかっこいい。

いわゆる昔の邦ロックのイメージってこういう曲で、食わず嫌いしてたのを打ち破られたよ。