「売れるため」に音楽をするのをやめた


 

今年も終わりに差し掛かっている。

もうすぐ音楽活動を始めてから1年になるということだ。

この1年で、自分の表現する音楽を聴いて欲しいと願いつつ活動してきた。

結局、多くの人に聴いてもらうことは「売れる」ということだと気づいた。

「聴いてもらう売れるという構図にものすごい違和感やえも言えぬ嫌悪感を抱きながらも、俺はどうすれば売れるのか、ずっと考えて生活していた。

それはもう、ずっと。

 

結局売れるためにはプロモーションが必要で、大きなプロモーションをしてくれるのが音楽会社で、その音楽会社に入るためにそれなりに売れなきゃいけない。

だから俺はメジャーレーベルにどうにか入れないか考えていた。

いろいろ話を聞いたり調べたりして、どうやったら目を付けてもらえるのか知った。

それを実行しようと思っていた矢先だが、なんだか方向性を見失っている自分に気づいてしまった。

 

俺の音楽はそんなに万人受けするものでもないし、正直親や祖父祖母に自信満々でオススメできる音楽ではない。

ロックだし、「ダウナー/アイデンティティ/モラトリアム」な音楽だし。

でも俺の表現したいものはこういう形なんだ。

そう、何のために音楽やっているの?っていうことを考えたんだ。

俺は誰かに届けるために、なんて思い始めていたんだけれど、なんだか言葉にしにくい、ここにも違和感の塊が心の底にあるような気がしていた。

本来、音楽に意味なんてあるのだろうか。

 

前の記事で書いたんだけれど、w-mは俺が死ぬまでのプロジェクトなのだ。

それなのに、音楽活動は30歳を区切りにやめようかと思っていた。

メジャーデビューの賞味期限ってそれくらいかなって思ったから。

正直焦っていた。

1日に何回も、どうやったら売れるんだよってことばかり浮かぶ。

有名になりたいわけじゃないのに、Mステや武道館なんかにはてんで興味がないくせに。

 

自分が音楽をやっていて、間違いないと言えることがある。

楽曲=俺なのだ。

それを認めてほしいだけなのだ。

そして、もっともっと楽曲と同化したくなった。

これは有名になることを意味していない。

音楽をしていて売れたら嬉しいけれど、「売れるための活動」をすることは別の誰かがすればいいのかもしれない。

一旦これまでの活動に終止符を打とうと思う。

そんなことを、次回新作をリリースするにあたって思えたのだった。

 

取り留めのない駄文を読んでくれて、ありがとう。