ルーツの音楽とは青春そのものである


自分の音楽のルーツはパンクミュージックである。

今聴くと懐かしい気持ちになる。

音楽の嗜好の変遷は人それぞれあるだろうが、俺にとっては単に音の好みが変わったことでパンクから離れたわけではない気がする。

音楽における精神的な部分の話、ふと思ったことを書いていきます。

 

 

中学の時に兄の友達が貸してくれたCDを聴いて電撃が走った。

HAWAIIAN6の1stアルバムだった。

イントロ0:01からすでに痺れてしまい、そこから俺はパンク(メロコア)の虜になった。

邦楽ではケンヨコヤマ、ハイスタと遡っていったが、俺はすぐに洋楽パンクシーンのウェーブに乗ることになった。

正直なところ、やはり海外アーティストの方が声がカッコよかったから聞いていて心地よかったのだ。

だけれども歌詞はみんな下劣なもの、意味の分からないものばかり。

それに比べてハワイアンや健バンドはかなりキラキラした歌詞に見えた。

日本のパンクはみんな発音がめちゃくちゃだけど、それでも元気や勇気を与えてくれる歌詞が好きだった。

少年石濱は何度も胸を打たれ、パンクロックこそ世界で最も尊いものだと思うほどだった。

人を元気にさせる音楽、こんなに素晴らしいものはない。

今でも俺はそう信じているが、自分のやっていることは彼らの形とはまるで違うものになるなんて、当時は想像すらしていなかった。

 

高校に上がってからは特に、パンク以外の音楽への興味も加速していく。

ロック、メタル、エモ、アニソンボカロと。

それでもやっぱりパンクが大好きだった。

しかし自分の日常からパンクは離れていくことになる。

ギターを本格的に始めて、テクニックを追い求めたくなったところもあるかもしれない。

しかしそれよりも、光の権化のような存在を穿った目で見始めてしまったのだ。

 

俺は高校あたりからようやく「人間の苦しみ」とかに気づくことになった。

中学の頃には自分がいじめられていたくせに、そんなことも苦しみと認められなかったのだ。

自分の苦しみ、人の苦しみ、それを意識していくにつれて助けたい感情が増していく。

だからこそ好きな音楽でみんな楽しくなれれば良いなと思っていた。

そこはある意味上述のアーティストから教わってきたスピリッツだ。

だがしかし、そんな気持ちを尋常ではない速度で蝕んでいくような、はたまた自分の身体から暗さが溢出するような感覚を覚えていく。

そこにきて初めて思うのだ、「なんて自分は暗い人間なのだろう」と。

ちょうど高校の頃と言えば、自分の行動と結果の差が大きくなり始める頃だと思う。

昔から存在していた「他者とのギャップ」が高校という小社会で認めざるを得なくなり、改善を余儀なくされ、どんどん卑屈にしたのだろう。

精神を病むことはなかったが、気づけば好きだったパンクが心に合わなくなっていた。

多分キラキラした歌詞とかに触れず、純粋にパンクの音とテンポだけに触れていたら、結果は変わっていたのかもしれない。

初めて聴いたときの衝撃が大きすぎたし、光そのものであった。

そんな意味を勝手に持たせてしまい、俺は聴けなくなったのだと思う。

いや、聴けなくなったというより、自分の中に生まれた違和感を凝視したくなったのだろう。

そして自分の音楽のカラーはw-mのそれに一歩踏み込むことになった。

 

 

今となってはパンクを聴くこともある。

やっぱりアドレナリンが出るような音楽であるが、かつての聴き方とは一緒ではない。

つまりルーツの音楽ってのは勝手に意味を持たせてしまうということである。

多くの人にとって良い思い出に変わるだろうし、俺にとってもそうなんだ。

だけどきっと苦い思い出もある人もいるだろう。

聴いてた音楽がイタかったなと黒歴史化する人も、初恋の彼女と付き合ってから振られるまでの思い出が詰まっていたりと。

皆さんはどんな思い出がありますか?

今思えば青春でしたか?

 

 

俺は自分のルーツの音楽に対して、以上のような思い入れがある。

大きな事件があったわけでもない。

それでも自分の人生を示す大事なエピソードであり、自分という人間の変化を象徴する出来事だったと思う。

この音楽に出会わなかったら今はないと言える。

まさしく「ルーツ」であるし、青春の音楽だ。

それが過去のものとして置き去りになるのではなく、今の自分と繋がっていることは嬉しく思う。

今でも少し、パンクロックには光を見てしまうことがある。

 

-今日のおすすめの1曲-

WORLD - HAWAIIAN6

-コメント-

好きになってからしばらく経って出た新曲だった。

この記事を象徴する曲でしたし、英歌詞を覚えるのが苦手な自分も何度も歌いました。