今日は宇多田ヒカルの曲名からタイトルを拝借した。
しばらくブログを書けていなかった。
色々な想いから思考の言語化がうまくいかなくて、書くのが億劫だった。
今日は気楽に、思いのまま書くよ。
俺がこの世で一番好きなボーカリストがライブのMCで言っていた。
「俺はこんなにもお客さんや大勢の人に囲まれているのに、飲み屋から出てくる楽しそうな人とかを見ると羨ましかった」
こんな感じのこと。
その人はいつまで孤独だったのだろうか、そしてそれを願ってもいなかったが、多分孤独を抱えたまま死んでしまった。
一ファンとして献花式で花を供えてから、もう何年も経つ。
俺はそのボーカルみたいに大勢の人に囲まれることはない人間だ。
それでも自己陶酔が過ぎるのか、その人が言った言葉の意味は俺と同じような気持ちのことなんじゃないかって今でも思っている。
孤独や寂しさを紛らわせるためのアイデンティティとナルシズム。
それは強がりでもある。
そんな俺だが、人から羨ましがられることは短い人生の中でも多々あった。
環境や人に恵まれているのだと思う。
それは素直に幸せだと感じている。
この幸せを認めることに何年も費やしたけど、大丈夫、分かっている。
だけど俺は俺のことをよく知っているから、不思議でたまらないのだ。
いじめられたり、不器用の極みだったり、変な奴だと距離を置かれたり、真面目にやってもちゃんと成功出来たことは何一つなかったり、憂鬱という感情と10年以上毎日一緒だったり、「本当の自分」は大して好かれることもなく「偽物」の道化として人を笑わせたり。
こんな要素まで念入りに羨んでもらえるだろうか。
どんなに人間の手で地球が汚染されても、隣の芝は青いのかもしれない。
だから月並みだけれど、俺の中で大切にしている信念がある。
人は孤独だ。
完全に分かり合うことは出来ないし、だから求める。
誰かを求めるから、誰かを求めない。
そしてどんな人も築いた人生があり、本気で喜び、本気で悩む。
孤独と戦いながら。
俺は絶対に、その人だけが持つ孤独や悩みを比べたりしない。
ここまで書いていて、ただの不幸自慢にも見えていたら嫌だなあと思う。
だからもう一度別の言葉で言い換えておく。
俺は嫉妬されるべき人生を歩みたいと思う。
-今日のおすすめの1曲-
嫉妬されるべき人生 - 宇多田ヒカル
-コメント-
俺は多分少数派で、宇多田ヒカルは中期あたりが好きなんだけどね。
この曲の雰囲気と歌詞の内容、この組み合わせに心を打たれた。
自伝とかインタビュー記事くらいの知識しかないけれど、この人も孤独と戦っていた人だと思う。
そんな彼女が幸せを受け入れられたのなら、俺もなんだか嬉しい。
コメントをお書きください